すだれの歴史
重要文化財 駒競行幸絵巻 / 和泉市久保惣記念美術館 所蔵
当社所蔵 模造複製品より転載
中世のすだれ
Medieval Sudare
平安時代の「寝殿造」、室町時代の「書院造」などの日本的な建築様式の発達に伴い、御簾が登場しました。
御簾は室内から外の庭と一体化した空間を演出し、外部からの侵入を拒む心理的距離をおく作用も併せ持ち、
また神と人、高貴と庶民を隔てる屏障具として用いられました。
平安時代(794〜1185年)
「枕草子」清少納言・・・
平安貴族にとって簾に囲まれた世界は、精神的安らぎをもたらす空間だったと推測されます。
御簾もとに あつまり出でて見たてまつるおりは
「源氏物語」紫式部・・・
御簾は一年を通じて利用され、四季折々の風情に応じて室内を演出していた様子が伺えます。
雪のひかりあひたる空こそあやしう色なき物の見にしみて 御簾まきあげさせ給
鎌倉時代(1185〜1333年)
「鶴岡放生会職人歌合(つるがおかほうじょうえしょくにんうたあわせ)」・・・
12世紀末、京都に<御簾編>という社寺権門との結び付きの強い簾職人が発生し、 当時の様子が描かれています。
「駒競行幸絵巻(こまくらべぎょうこうえまき)」・・・
貴族達の建物に、多くの御簾が使用されていた様子が描かれています。
室町時代(1336〜1573年)
「応永期(1394〜1428年頃)、大和(奈良県)の萱簾(かやす)を京都に大量に移出の際に「奈良座」が組織され、葵祭では一条通に設けた棧敷(さじき)の簾を奉仕しました。
本所一条家の公事を勤めましたが、応仁の乱後に販路を失い没落しました。